Saturday, February 13, 2016

何かを長く続けるということ

 



私は何かについて長く続けることが多い。アメリカ駐在で出会った学生たち138人の顔と名前を思い出すこと1年、四股踏みエクササイズと体幹トレーニングを1年半、世界のすべての国名を思い出すことを7年、日記(といっても今は週に1回だが)は15年、献血を17年続けている。終了したものを含めると他にもいろいろある。

一見何の役にも立ちそうにないことばかりだが、なぜこれらを続けられるのか。それにはいくつか理由がある。1つ目は自分だけの特別なものを作りたいということ。例えば、毎週末チーズケーキをお店で食べたり自分で作ったりすることを2年半続けたが、人にとってはただチーズケーキを食べるという行為が、自分にとっては「どんな食材を使っているのかを勉強する」ことになり、それが「自分だけの特別なチーズケーキを作る」ことにつながっていった。アメリカ駐在時には創作パスタ料理を37回作ったが、それも同じ理由である。2つ目は健康を保ちたいということ。定期的に何かを思い出すことで脳を衰えないようにし、定期的にエクササイズすることで体を衰えないようにしている。また、納豆と黒酢入りのもずくをほぼ毎日食べて内蔵も元気にしている。私は人から年齢の割に若いと言われることがあるが、それはこのように健康を気にしているからだと思う。3つ目は人への感謝や貢献の気持ちを示すこと。アメリカ駐在時にサポートをした学生たちは、皆やる気に満ち溢れていた。自分は彼らに触発されて様々なことを勉強する意欲が沸くようになった。彼らにはとても感謝しているので、彼らのことをいつまでも忘れないようにしたいと思っている。また、献血は自分の身近にできるボランティアなのでこれからも続けていこうかと思っている。これまで63回献血に行ったが、死ぬまでに100回行くことが目標である。
以前に知人が「何事も10年続ければそれなりのものになる」と言っていたが、実際に何かを続けているとそう思うことがよくある。継続は力なり、これからも色々なことを長く続けていこうかと思う。

今回は記事を書いてくださった池見直俊にいくつか質問をしていきたいと思います。

1、元々長く続けることは得意でしたか?
内容にもよりますが得意な方だったと思います。昔から座右の銘が「継続は力なり」なので。

2、どうやって長く続ける習慣がついたと思いますか?
成長を形に表すことが重要だと思います。例えば、小学生の頃にそろばんを習っていましたが、そろばんは級が上がるごとにできることが増えていき、その成長は計算をするときに実感できるのです。そろばんをやめてから25年近く経ちますが、今でも簡単な計算は頭の中でそろばんを弾いて暗算でします。そういうちょっとしたときに長く続けることは大事だと感じます。

3、池見さんは食べ物の中でもチーズケーキやスパゲッティ、ボランティアの中でも献血を選んでいますよね。様々な選択肢がある中で続けることにした決め手は何ですか?
長く続けている人が少ないこと、あと日常生活に結びついていることです。

4、チーズケーキがどんな食材について研究した結果、次のステップにつながってますよね、他の続けたことにも何か次のステップに繋がったことはありますか?
パスタもそですね他はないかなぁ

5、私も含め、続けることの大事さってわかってはいるのですが中々難しいんですよね。誘惑に打ち勝つのってどうしていますか?
「ちょっとやってみる」という習慣をつけることです。ちょっとやってみるとズルズルとやることになり、結果的に続くことにつながります。「ちょっとだけやってみようよ」と自分自身を騙すんです(笑)

6、続けることによって感謝の気持ちを伝えるというのは思いつきませんでした。このアイデアは元々考えていたことなのでしょうか?もし何かのきっかけで気づいたのであれば、このアイデアを思いつく前と後で何か自分のモチベーションなど変わったことはありましたか?
元々ではありません。学生たちと知り合って彼らから色々なことを教えてもらいました。そのときに彼らにできることは彼らのことを忘れないでおこうと思ったのです。何年かしてから再会したときに名前を忘れていたら悲しいので。やはり、感謝の気持ちがあるとモチベーションが持続すると感じました。


Writer:池見直俊
   岡本真希

Saturday, February 6, 2016

チャンスの前髪


「私のブログに記事を書いて欲しい。」

4年間アルバイトをしていた塾の元生徒から、突然そんな依頼を受けた。
依頼は「自分のこだわりについて書いて欲しい。」というものだった。
面白い内容だと思い、依頼を快諾したはいいものの、何を書こうか考えているうちに少し困ってしまった。
というのも自分にはこれといったこだわりがなかったからだ。


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中学高校時代、私は中高一貫の私立男子校に通っていた。
生徒の組織する実行委員会が、文化祭や体育祭を主催することで有名な学校だった。
文化祭を見に来た際、心から楽しんで目を輝かせている先輩たちを見て、この学校は楽しそうだなと感じて入学を決めた。

それにも関わらず、中学に入ると実行委員会に入ることをせず、毎日学校から自宅までの往復をして毎日を勉強やゲームに費やしていた。

友達の多くは部活や実行委員会に打ち込んでいたが、私は部活にも実行委員会にも打ち込むほどの魅力を感じなかった。
その一方で何かに打ち込んでいる周りの友人たちを見て、心の底から羨ましいと思っていた。

そんなこんなで1年ほどが経ったある日、ある友達に尋ねられた。

「どうして委員会に参加しないの?」
「特に面白いと思えないんだよね。」
「とりあえずやってみなきゃわからないじゃん。俺と同じ委員会に入ろうよ。」
「。。。。」

正直、友達に無理やり言いくるめられて、なくなく実行委員会に入った。
実行委員会での毎日は大変なことも多かったが、それまでに感じたことのない楽しみを感じることが出来た。
「とりあえずやってみる」が功を奏したのである。


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大学に入ってから家庭教師や塾の事務などのアルバイトをしているので、今の中高生に関わることが頻繁にある。
進学先を決めるため、生徒たちに将来何をしたいのか、夢は何なのか聞くことが多いのだが、生徒の中には私のように夢を持てずにいる子が少なからずいる。

このように夢を持てない子が出来てしまう原因には、頑張る人が叩かれるという世の中の雰囲気があると感じる。
いわゆる「意識高い系」という言葉をあちらこちらで聞くことがそれを表している。
このことが、何かにチャレンジしようとしても、他人の目が気になり、行動に移せないという結果を生み出す。
すると、小さな成功体験をすることが出来ず、自信を形成する機会を逃し、最終的に「夢」を持つことが出来なくなっているのだ。

私が周りの人とは違い、何かこだわりを持てなかったのも、結局はこのように自信を持つことが出来なかったからだと思う。
だからこそ、勇気を出して自分のやるべきことや、やりたいことに打ち込み、自信を得た人を見ると、羨ましいなと感じたのだ。

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最近、私がその一部を書いた英語論文が、ある国際雑誌に掲載された。

研究室の教授に、先輩と一緒に書いて欲しいと頼まれたとき、正直本当に書けるのか、ちゃんと形になるのか心配で心配でしょうがなかった。
自分の英語力にも、論文を書くにあたる知識量にも全く自信がなかった。

しかし、先輩に論文執筆のリードをしていただき、教授に様々な部分を直していただいて、どうにかして何とか形になった。
もちろん自分の力だけで掲載に至った訳ではないが、当初の不安は結局大きく外れたのだ。
掲載された論文を目にした時、心から嬉しく思い、そして何とかなるのだと自信を持てた。

その時にふと、「とりあえずやってみる」の言葉を思い出した。
長い間忘れていたが、10年ほど経った今になって、友人から言われたその言葉の重要性を再認識した。


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もちろん何かをすることは、億劫に感じることもあるし、それに付随する責任にも不安を抱くかもしれない。
しかし、そこで踏みとどまってしまっていては成長はなく、ただただ周りから置いていかれるだけだ。
足を踏み出すのが遅くなればなるほど、今更足を踏み出してつまらない失敗をしてすることが怖くなり、周りの目が気になってくる。
負の連鎖である。

それを打開するには、ただ一つ、勇気を持って一歩踏み出すことだけだ。
何かしたいことがあれば、それをやってみればいい。
何もやりたいことがないのであれば、目の前に来たチャンスに手を伸ばし、「とりあえずやってみる」だけでいい。
すると意外と何とかなるものだ。
それをしているうちに、自分のしたい事・すべき事が見つかるはずだ。

チャンスの神様には前髪しかない。
目の前にやってきた小さなチャンスを逃してはならない。
これをこれからも自分のこだわりにして、自分の苦手な事にもチャレンジし続けていきたい。

Writer:神谷泰智