「私のブログに記事を書いて欲しい。」
4年間アルバイトをしていた塾の元生徒から、突然そんな依頼を受けた。
依頼は「自分のこだわりについて書いて欲しい。」というものだった。
面白い内容だと思い、依頼を快諾したはいいものの、何を書こうか考えているうちに少し困ってしまった。
というのも自分にはこれといったこだわりがなかったからだ。
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中学高校時代、私は中高一貫の私立男子校に通っていた。
生徒の組織する実行委員会が、文化祭や体育祭を主催することで有名な学校だった。
文化祭を見に来た際、心から楽しんで目を輝かせている先輩たちを見て、この学校は楽しそうだなと感じて入学を決めた。
それにも関わらず、中学に入ると実行委員会に入ることをせず、毎日学校から自宅までの往復をして毎日を勉強やゲームに費やしていた。
友達の多くは部活や実行委員会に打ち込んでいたが、私は部活にも実行委員会にも打ち込むほどの魅力を感じなかった。
その一方で何かに打ち込んでいる周りの友人たちを見て、心の底から羨ましいと思っていた。
そんなこんなで1年ほどが経ったある日、ある友達に尋ねられた。
「どうして委員会に参加しないの?」
「特に面白いと思えないんだよね。」
「とりあえずやってみなきゃわからないじゃん。俺と同じ委員会に入ろうよ。」
「。。。。」
正直、友達に無理やり言いくるめられて、なくなく実行委員会に入った。
実行委員会での毎日は大変なことも多かったが、それまでに感じたことのない楽しみを感じることが出来た。
「とりあえずやってみる」が功を奏したのである。
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大学に入ってから家庭教師や塾の事務などのアルバイトをしているので、今の中高生に関わることが頻繁にある。
進学先を決めるため、生徒たちに将来何をしたいのか、夢は何なのか聞くことが多いのだが、生徒の中には私のように夢を持てずにいる子が少なからずいる。
このように夢を持てない子が出来てしまう原因には、頑張る人が叩かれるという世の中の雰囲気があると感じる。
いわゆる「意識高い系」という言葉をあちらこちらで聞くことがそれを表している。
このことが、何かにチャレンジしようとしても、他人の目が気になり、行動に移せないという結果を生み出す。
すると、小さな成功体験をすることが出来ず、自信を形成する機会を逃し、最終的に「夢」を持つことが出来なくなっているのだ。
私が周りの人とは違い、何かこだわりを持てなかったのも、結局はこのように自信を持つことが出来なかったからだと思う。
だからこそ、勇気を出して自分のやるべきことや、やりたいことに打ち込み、自信を得た人を見ると、羨ましいなと感じたのだ。
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最近、私がその一部を書いた英語論文が、ある国際雑誌に掲載された。
研究室の教授に、先輩と一緒に書いて欲しいと頼まれたとき、正直本当に書けるのか、ちゃんと形になるのか心配で心配でしょうがなかった。
自分の英語力にも、論文を書くにあたる知識量にも全く自信がなかった。
しかし、先輩に論文執筆のリードをしていただき、教授に様々な部分を直していただいて、どうにかして何とか形になった。
もちろん自分の力だけで掲載に至った訳ではないが、当初の不安は結局大きく外れたのだ。
掲載された論文を目にした時、心から嬉しく思い、そして何とかなるのだと自信を持てた。
その時にふと、「とりあえずやってみる」の言葉を思い出した。
長い間忘れていたが、10年ほど経った今になって、友人から言われたその言葉の重要性を再認識した。
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もちろん何かをすることは、億劫に感じることもあるし、それに付随する責任にも不安を抱くかもしれない。
しかし、そこで踏みとどまってしまっていては成長はなく、ただただ周りから置いていかれるだけだ。
足を踏み出すのが遅くなればなるほど、今更足を踏み出してつまらない失敗をしてすることが怖くなり、周りの目が気になってくる。
負の連鎖である。
それを打開するには、ただ一つ、勇気を持って一歩踏み出すことだけだ。
何かしたいことがあれば、それをやってみればいい。
何もやりたいことがないのであれば、目の前に来たチャンスに手を伸ばし、「とりあえずやってみる」だけでいい。
すると意外と何とかなるものだ。
それをしているうちに、自分のしたい事・すべき事が見つかるはずだ。
チャンスの神様には前髪しかない。
目の前にやってきた小さなチャンスを逃してはならない。
これをこれからも自分のこだわりにして、自分の苦手な事にもチャレンジし続けていきたい。
Writer:神谷泰智
Writer:神谷泰智
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